パチンコの換金システムを考案したのは大阪府警の署長
GREEとかその典型だな
最大の障害は「空気」です。日本でまともな法制度の議論をしようとするときの最大の障害は場の空気なのです。
例えば、「保護期間を死後70年とするべき絶対的理由はないが、なんとなくその方がクリエイターを大事にしている気がする」と思う人はいるでしょう。死後50年より70年の方がなんとなく知財立国的な気がする。多くの人はこのレベルでしか突っ込んで考えないかもしれません。なぜなら時間は有限だから、ありとあらゆる社会問題をじっくり考えることはできない。
そうすると、場を空気が支配してしまうということがありがちなのです。この空気によって場が支配されてしまったときに、おかしな議論というのは通ってしまう。だからそれが最大の障害だろうと思います。言ってみれば今回は”空気”対”道理”の戦いだと僕は思っている。保護期間延長に社会的なメリットを十分示せないならば伸ばすことはできない、というのが道理だと思いますから、空気と道理がぶつかり合っているような感じがします。そしてこの「空気」というのは大変な強敵です。外圧よりもっと怖い。
僕は,今のオンラインゲーム(主にMMORPG)を見ていて,とにかく「現実世界で生きるか仮想世界で生きるかのどちらかを選べ」って態度が気に入らないんですよね。ゲームって娯楽であるハズなのに,それはどうなんだろう?と思ってしまう。
週末だけ楽しめる“夢の国”でいいんじゃないか。ぱっと遊んでストレスを発散して「明日も頑張って仕事しよう」みたいな(笑)。僕はそういうものでいいと思うんです。
某FPSのとあるクランに入った
IRCで上手くなるコツを伝授してくれるというので顔を出した
面倒見の良いクランのようである
「フルバーストは初心者がやることだからw」
「レクティルをよく見て高速タッピングでQSを決めれたら中級者かな^^」
と、クランの先輩は親切かつ熱心かつ得意気に語る
言葉の使い方が非常にユニークで新鮮である
「一応教えておくけどQSってのは素早く標準を合わせてAIMで狙うことね^^」
「これマスターしちゃうとKDかなり上がるよw」
AIMで狙う・・・やや頭痛が痛くなってきた
「AIM狙うのが遅すぎるとQSとは呼べないから注意ねw」
「少しずつ標準が上がるからリコイルコントロールを下げるのも忘れちゃだめw」
なるほど、とにかく早ければQSと呼べるのである
照、もとい標準を合わせるのが早ければ良いのである
そしてリコイルコントロールを下げるのは実に難しそうである
「あとさ、ダークネスショット知ってる?」
その若々しい言葉の響きから嫌な予感がする
仕方ないので知らないと答えた
「んとね、ジャンプで敵の弾を回避しながらQSでAIMしながらHSを決めることを俺はダークネスショットって呼んでる^^」
ここでようやく急用を思い出したので挨拶をして落ちた
この後どのようなレッスンが続くはずだったのかは知らない
自殺者の数がまるで内戦でも起きてるみたいなレベルだが、現に内戦は起きていて自殺者は戦死者であると考えることもできる。
深淵「自意識過剰の人間ウザイ。見てねーっつーの」
失敗ゼロを目指して最適化していくと、どこかの段階で 「失敗はしないけれども、成功もしない」というところに来てしまう。
2007-09-05 (via gkojay) (via pdl2h) (via yellowblog) (via shibata616)
刑務所跡地が観光スポットになっているところもあって、中には「刑務所一泊ツアー」みたいなネタ色の強い催しもあるそうです。そういうものを「娯楽」として消化するような人にしてみればカプセルホテルもスマイルスキャンも話のタネとしては喜ばれるのでしょうけれど、日本のすごいところはこれがネタではなくマジだというところです。「ディストピアごっこ」の舞台装置としてカプセルホテルやスマイルスキャンがあるのではなく、各地の職場で導入されるなど「日常」に組み込まれている――つまりはアトラクションとして幽霊屋敷が作られているのではなく、幽霊屋敷で生活することを強制しているようなものであり、まさに気が狂っていると見なされても不思議ではないと思います。
「世の中に笑顔を増やすという製品の意図」などとオムロンの広報担当者は宣うわけですが、機械による測定で増やされた笑顔に何の意味があるのでしょうか。独裁国家の「将軍様」の支持率と同じです。忠誠心を測ることで「不合格」な人間をあぶり出し、脅しを掛けることによって見せかけ上の支持を作り上げる、それと同じことです。人に笑顔を強制する、喜ぶことまでを強制しようとする国家では人権が守られているとは言えないでしょう。
なぜスマイルスキャンが最低の発明に選ばれたのか、その理由が理解されないよう社会が次に産み出すのは何でしょうか。笑顔の測定器の次は、「仕事へ取り組む真剣さ」を測る機械でも作られそうですね。スマイルスキャンの前で必死に笑顔を作ることを強いられた次は、測定器で勤務態度を監視される……こうなっても不思議ではありません。その最終形態は「思想/信条スキャン」でしょうか? とかく「心」を支配したがる国ですから。
異性に対して奥手で出会いがなく、両親と周囲からのプレッシャーに押され、恋人を作ろうと頑張るも、異性の友達など皆無であり、相談できる友達も少ない。そんな、結婚に対して心が折れそうな時に、不意に現れる天使のような女性。誰しもが心ときめく瞬間であり、喜びのあまり自身が草食系男子と呼ばれる類の生き物であることを忘れる。その幸せを感じている場所が、男を骨の髄までしゃぶり尽そうと考えている女子の手の平の上であることに気がつかずに……。
「マトリクス」という概念は、ハリウッドの脚本システムでは描けない。それでもなお、そのシステムにのっとってストーリーを構成しようとすればどうなるのか。まさにここに、「エージェント」というキャラクターが創造された原因がある。エージェントとは、マトリクスという仮想現実世界の番人・監視者を務めるプログラムであり、仮想現実の内部では「いかにも悪役」という見た目をもって実体化される。
つまり、「主人公ネオ対マトリクス」という図式は描けないが、「主人公ネオ対エージェント・スミス」という図式ならハリウッドの脚本システムで描ける、ということだ。だからこそ、『マトリクス』第一作の脚本は破綻なく構成することができた。マトリクスそのものとの戦いは一切描かれず、ただマトリクスの代理者としてのエージェント・スミスとの戦いだけが描かれる。そして、エージェント・スミスに勝利した時点で、「マトリクスとの本当の戦いはこれから」ということだけが示唆されて第一作は終わる。
確かに、第一作だけを見れば、緊密に構成された脚本であるように思える。しかし実は、この脚本はこの時点ですでに続きなど書けないようなシロモノなのだ。所詮はエージェントは実体を持たない存在であり、実体のないマトリクスとは全く異なる。したがって、どれだけエージェントとの戦いを積み重ねようとも、マトリクスとの戦いには永久に到達しない。




